純粋数学のアカデミア(研究職)から離れるにあたっての遺書 ― 数学が辛い人へ
- 2024-03-29: 初稿
注意: 「遺書」とありますが、別に自殺はしないのでご安心ください。
はじめに
私は代数学専攻のポスドク(学振PD3年目30歳)ですが、2024年3月末でアカデミアを離れて、4月から一般企業へ就職します。 このようにアカデミア界隈のポスドクやら研究者やらが、研究職のアカデミアを離れて民間企業へ就職することを 脱アカ・acadexit と呼ぶことがあります。そういう人はよく記事を書くようなので、私も書いてみることとします。
そういう記事でありがちな就活体験談や就活ノウハウ等というよりは、かなりシリアスで鬱な精神面についての重い話になりますが、私の経験を共有して、同じような悩みを持つ人に少しでも助けになれば、またアカデミアの人たちにも「こういう人もいるんだ」という参考になればと思い、書いています。正直過去の自分へ向けて・また現在の自分の心境の整理という意味の強い記事ですが、ご容赦ください。
書くこと
- 表面上の経歴と精神的な経歴
- 数学に心を病んでいたという話(うつ病の話)
- アカデミア脱出に至った(主に精神的な)経緯
書かないこと
- 研究についての数学的な内容
- 詳しい就活体験談や就活についてのアドバイスやノウハウ
自己紹介
私を知らない方のために簡単な自己紹介をしておきます。
経歴
このサイトのCVに載っていますが、簡単な経歴を書いておきます。
- 2012-2016: 名古屋大学の理学部数学科
- 2016-2018: 名古屋大学の多元数理科学研究科(純粋数学やるとこ)の修士
- 2018-2021: 学振DC1、名古屋大学多元数理科学研究科の博士を2年半で早期取得し、残りは切り替えPDとして在籍
- 2021-現在: 大阪公立大学で学振PD
業績
- 研究分野は多元環の表現論で、主に体上有限次元非可換環上の加群のなす圏等の構造を研究する分野
- 論文は修士のとき2本、博士のとき7本、切り替えPDのときに2本、ポスドクのときに5本、合計16本ほど(うち共著が3本)
- 日本数学会の代数学の特別講演に選ばれたり、他にもいくつか海外や日本等の集会で招待されて講演したりしてます
受賞等
- 学振DC1と学振PDに書類審査で採用(受賞か?)
- 修論で研究科の賞
- 博士のときは名古屋大学全体の博士から選ばれる学術奨励賞
- ポスドク時代は名古屋大学卒業生から選ばれる名古屋大学数理科学同窓会学生奨励賞(飛田賞)
客観的に見ると研究職としての道を順調に進んでいて、このままポスドクをあと何回か繰り返せばパーマネントの研究職に就けるかもしれなさそうなように自分でも見えます。が主に精神的な側面が理由でアカデミアを離れ、企業へ就職することにしました。
以下これについて詳しく書いていきます。
精神的な経歴
上で書いた経歴はあくまで外側からみたもので、精神的な・内面的な側面についての遍歴はほとんど苦しいばかりでした。わりとガチ目のシリアスな話になるのでご注意ください。
修士時代
初論文がかけたり、論文の2本めがまあまあよい結果が出たりして(Advances in Mathematicsにアクセプトされます)、研究者としてやっていけるかもと思い始める時期です。が、学部時代からずっと「自分は人より数学ができない」「数学が辛くてやる気が出ない」「こんなんでは研究者としてやっていけない」「なぜあの人のように数学を楽しそうにできないのか(後述)」「自分は何をやっても駄目だ」等の劣等感や自己否定感が強くありました。
特に転機となったのは、M2のときのDC1用の学振申請書に力を注ぎすぎたことです。全ての力を申請書やそれに間に合わせるための論文執筆に使いすぎて、その後に燃え尽きて何もやる気が起きず、数学のモチベーションが消えました。修論自体は、その燃え尽き前のものを切り貼りして乗り切りました。
博士時代
もともと前述のような自己肯定感の欠如や劣等感や不安感に加え、無気力や自己否定や理由の特にない悲しみも加わり、これは教科書で見た典型的なうつ病の症状だーということで(もともと心理学や精神医学は好きでいろいろ勉強してました)、精神科を受診し、うつ病として通院し、抗うつ薬等の薬を飲み始めました。(一時期は、研究も他のことも全くできる状態でなかったのもあり、指導教員にはこのことは伝えています。)
精神科への通院開始と同時期に、大学内の無料で利用できるカウンセリングサービスがあり、そこへも通いました。この投薬とカウンセリングのおかげで、うつの症状は少しずつ安定して、無意味に悲しくなったり、自分を責めたりすることは減りました。このようなカウンセリングサービスは大抵の大学にあると思われるので、少しでも精神的に辛いと感じたら気軽に利用することをおすすめします。自分のケースのように鬱とまでは行かないような人でも、不安や悩みや辛さを相談でき、そのように人に話すだけで心が楽になることが多いです。
また後に詳述する「数学=人生ではない」「数学よりも心が大事」という視点や「とりあえず研究職を目指して駄目だったら別にそういう人生でもいい」という考えも持てるようになり、精神的には少し楽になりました。ですがもともとモチベーションの波が激しい性格なので、やる気が出て躁状態に近いときには論文を一気に書いたりするが、そうでないときは本当に何もできない状態、その繰り返し、という状態が続きました。博士の後半は運良くいい感じの独自の研究テーマが見つかったので、いっぱい論文を書いています。
学振PD時代
もともとアカデミアが厳しかったり公募が大変という話は聞いていたので、「せっかく学振PDで3年間猶予があるんだから、自分の精神衛生を優先して、2年間は次の公募やら将来のことをあえて全く考えずに過ごそう」と決めていました。なので、最初の2年間は何も考えずにやりたい研究や活動を自由にやって過ごしていました(それでも定期的に将来が不安になりましたが)。 ただモチベーションの波で無気力が訪れる問題は常にあり、「常に数学のことを考えられるデューティーも無い楽しい研究生活」というものとは程遠い状態でした。
そうして将来を先延ばしにして3年目になるわけですが、後述する理由から企業への就職も視野に入れており、まだアカデミアへ残るか企業へ就職するかは決めていませんでした。アカデミアの公募も出始めるころなので、周りのいろんな人から言われるままにとりあえずいくつかアカデミアの公募を出したりして、とりあえず学期区切りの10月までは企業への就活は保留していました。
ですが10月になってもよさそうなアカデミアへの職は決まらなかったのもあり、企業への就活を進めることとして、気になっていた企業さんとのお話を進めていくうちに、そちらが正式に内定となり、そこへ就職することとなりました(詳しくは後述)。
アカデミアを辞めて企業就職を考え始めた理由
数学=人生ではない
上に述べた通り、わりと真面目な意味で、私は数学がきっかけの一つとして精神を病んでいます。修士や博士初期は常に頭の中が「数学は辛い」という感情でいっぱいでした。 自分と数学とが心のなかでぐちゃぐちゃに混ざり合って、メンヘラ彼女との共依存のような状態になって、「自分には数学しか無い」「数学でやっていけなかったら自分はもう終わりだ」「数学していない自分に価値は無い」という思考が常にありました(いわゆる典型的な認知の歪みです)。
ただ、カウンセリングや友人との話や薬の効果から、「自分と数学はイコールではない」「数学で心を病むくらいなら心のほうが大事だから数学をやめてもいい」という考えが少しずつ持てるようになり、自分と数学とがぐちゃぐちゃに一体化していた状態から、数学と自分との間の距離感も少しずつ健全なものになっていきました。 そうすると、「研究職でやっていくしか自分には無いんだ」という強迫観念から解放され、心が楽になりました。(結果的に精神的に余裕ができて、数学の研究もちゃんと進めて成果も出すことができました。)
それもあり、研究職以外の道も実際に自分にはあるんだ、ということを確認するために、学振PDの2年目くらいから企業就活の情報をちょっと集めたり、企業の方と話をしたりしていました。 この「実際に就職するかは置いておいて、保険のために研究職以外の道を探る」というのは、アカデミアの研究者志望の人にもおすすめしたい考え方です。実際に少し活動しただけでも、精神的な余裕がでてきます。アカデミアで生き残るには精神的な強さが必要だとよく言われますが、そのためにはアカデミア以外の選択肢を持っておくことも大事だと思います。
アカデミアの不安定さ・厳しさ
私が書くまでもないと思いますが、純粋数学のアカデミアで研究者として生き残るのはとても厳しい道です。また待遇の微妙さや不安定さもあります。特に:
- 次のポストもまたほぼ確実に任期付きで、そうするとまた将来に不安が残り続ける
- いつパーマネントになれるのか分からない。あと1回任期付きが終わったら終わりかもしれないし、30代ずっと任期付きかもしれない。
- 場所や待遇なんか選べる立場になく、運良く出ていた公募に場所やらは見ずに片っ端から応募していって、運良く通ったらそこへ行く
という現状があると思います。そのような中で研究者を目指すには、精神的な強さ、そして後述する数学が好き・楽しいという気持ち(後述)が大切だと言われます。私にはこれまでのことから分かる通り精神的な強さも余裕もなく、モチベも安定せず、また任期付きを続ける負担が精神にまた大きな負荷をかけると思い、アカデミアを離れることにしました。 (といいつつ、「もしこの賞が受賞できたら/もしこのパーマネント公募に通ったらアカデミアを続けてもいいかもな」というものもあったのですが、駄目だったというのもきっかけの一つです。)
また、私の特殊事情として現在は名古屋の実家に一人暮らししているので、名古屋から通える or 定期的に気軽に名古屋に帰れるという保証が欲しかったのもあり、場所を選べないという点もアカデミアを離れる大きい理由の一つです。
さらに、自分は実績があって優秀とみなされる部類の人間であると客観的に思っているので、そういう人間が研究職の不安定さからアカデミアを離れることで、一種のストライキ的なメッセージもまったく無いわけではありません(がこれはさすがにほぼ冗談です)。
数学が好き・楽しいという気持ち
よくtwitter等で、「博士課程やポスドクは研究職は確かに経済的に厳しく不安定で狭い道だけど、好きな研究・数学に好きなだけ没頭できるのは最高で、好きなことで仕事できるのはやりがいがあるよね!」という宣伝をみます。以下で書くのは、これは自分にとっては余計気が滅入ってアカデミアを離れる方向へ心が傾く言説だということです。
みなさんは「私は数学が好きです」と胸を張って言えるでしょうか?私は言えないタイプの人間です。確かに新しい証明がノッてるときなど瞬間的に脳内麻薬が出てハイになって熱中しているときはあります。しかし、上に書いた通り自分と数学との境界が一時期ぐちゃぐちゃになっていたのもあり、自分と数学との関係は「好き」とかそんな言葉で言えるようなものではありません。
「数学は辛い」「なんで数学なんてやっているんだろう」「数学が好きかどうかも分からない」「数学のモチベーションが無い」「みんな楽しそうにモチベ溢れて数学・研究やっている、自分とは違う人種だ」「こんな人間が数学研究者としてお金をもらっているのは駄目なことだ」等の自動思考は、苦しかったときに常に頭の中にありました。今では、数学との距離感は健全なものになってきており、これらの考えに苦しむことはあまりありませんが、それでも胸を張って「私は数学が好き」とは言えず、自分が数学を好きかどうか分かりません。モチベーションの波が激しく、ノッているときには好きかもしれませんが、そうでなくモチベが無い時期(これがほとんどです!)にはとてもじゃないけど好きだとは言えません。
しかし巷にあふれる研究職への宣伝を見ていると、数学の研究者というものは、どうやら数学や研究が好き・楽しんで研究をやる人がなるらしいのです。(この点に関する特筆すべき例外は、ノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎で、彼の「滞独日記(量子力学と私収録)」は、ドイツ留学中の彼の、「なんで物理なんかやっているんだ」「優秀な湯川に比べて私は」「物理が辛くて自分が矮小で涙が出てくる」等、私のことかと思うほど思考が重なり、よく言われる「研究が好きで好きで仕方がない研究者像」とは違う生の研究者像を描いており、博士時代から今に至るまでの心の支えになっています。ぜひ読んでください。)
よって、「将来は不安定だしいろいろ辛いことも多いけど、数学が好きだから研究職を続ける」という言葉を見ると、私は「ならば私は数学が好きだと胸を張って言えないタイプの人間なので、しかも不安定で辛いなら、研究職を続ける理由がないじゃん」と思うわけです。
ただしこの「研究者は研究を好きで楽しんでいる・そうあるべきである」というのは一つの偏った見方という面もあると思います。何故か「私は数学が楽しくて数学者やっています!」という人ばかりを観測して、そのたびに私は気が滅入って辛くなりますが、噂や聞いた話では「数学は別にそこまで好きじゃないけど、仕事と割り切って数学をしている」という数学者も存在はするようです。 自分もそうなれればよいのかもしれませんが、仕事と割り切るにはデメリットが多すぎ、待遇の悪さも含めてやりがい搾取に見えてしまい、それもまたアカデミアを離れる理由の一つです。
数学以外の興味
義務的に数学の研究を行うことは精神衛生に悪いとだんだん分かってきたので、博士後期以降は「何かに興味があってノッているそのときどきに、興味の赴くままにやりたいことをやる」というスタンスで数学をして生きてきました。そこから、「数学的な概念をコンピュータプログラムとして実装して計算させたり遊んだりする」ことが自分の関心のあることだということに気づきました。
- 例えば博士時代は、Dynkin型道多元環や前射影的多元環上の加群圏とCoxeter群との関係から、Coxeter群の純組合せ論的な主張を考え、例外型の場合にはSageMathでコンピュータプログラムを書いて計算させたりしていました。
- また「加群圏や三角圏のAR quiverが分かれば対象の間のHomが分かる」というよく知られた事実を、実際にAR quiverが与えられたらHomの次元を計算するPythonコードを書いたり、
- ポスドク時代は、あるクラスの多元環の加群圏の様々な計算をするためのWebアプリを作ったり、
- Leanという定理証明系(数学の定理やその証明をプログラミング言語を使って正しさの検証ができる)を使って、実際に加群論の定理を証明したり、布教のためにLeanの数学者向けのワークショップを開いたりしていました。
残念なことに(?)、個人的な体感では、純粋数学の分野ではそのような「計算するプログラムを作った」「大事な定理を証明支援系で実装した」ことは業績としてカウントされず評価もあまりされず、「ふーん、面白い遊びを作ってるんだね、で数学は?」という目で見られるような感覚があります(認知のゆがみかも知れません)。ポスドク後半では上のような私の興味に合わせた活動をして、その布教もしており、またプログラムを作る過程で発見した数学的事実の論文を書いたりはしていたのですが、この数学に関するプログラミングの楽しさというのは、「数学とは別の自分」の発見でした。
運良く、話していた企業さんからそのような「数学の理論の実装」のような箇所を評価していただき、そこへの就職が決まった形となります。
(またこれは数学から完全に離れますが、近年の生成AIブームの初期から、画像生成AIや音声生成AIを触って、機械学習の中身や仕組みや構造はよくわからないながら生成したり学習したりPythonコードをいじっていろんなことを試してみたりしています。これは本当に数学と関係ない完全なる趣味です。)
落ち込んだ気分の進化心理学的な起源
これは去年(学振PD3年目)に、『なぜ心はこんなに脆いのか: 不安や抑うつの進化心理学』 という、進化論的な視点から心理学を考察する本(とても面白いです)を読んでいて出くわした記述と関連します。この本では、種々の精神疾患や気分や感情といった心理学的な概念が、(通常の精神医学で行われるような脳の神経科学に基づいた説明ではなく、)人類の種の生存といういわゆるダーウィニズム的な進化論的世界観からどのように説明されるか、ということが書かれています。
本書の6章「落ち込んだ気分と、諦める力」の167ページ程から、「狩猟採集社会の人が、目の前にあるラズベリーの茂みに対して、どれだけ熱意を注いでラズベリーを探すべきか、そしていつやめて次の茂みへ行くべきか」という、狩猟採集社会でよくありそうな状況を考え、そこから感情やモチベーションや気分についての進化論的仮説が説明されています。
- ラズベリーの茂みを見つけたときは、どんどんラズベリーが取れ、スピードが上がるが、少なくなっていくとスピードが下がる
- しかし次の茂みを探すのはエネルギーもかかる。またラズベリーを取りすぎても重くて持ち帰れない。
- ではどのタイミングで今の茂みを離れて次の茂みを探しに行ったり、ラズベリー狩りを中断するのがよいのか?
この行動モデルは数理科学的にもちろん定式化することもでき、その解を数学チックに求めることも可能です。が、ここで「モチベーション」や「気分の浮き沈み」が重要な役割を果たすというのが、進化心理学的な視点です。
つまり、人は単に、次の原則に従えばよく、実際にそうしていることでしょう:
- 今の茂みをやめて次の茂みへ行く or やめるのは、単にモチベーションが落ちて気分が下がってきたときにそうすればよい
このように、何か決断をするときの指標としてモチベーションや気分があるのだとしたら、モチベーションや気分という心理学的な概念は、このような意思決定を行うときに重要な役割を果たすものとして生じてきたという進化論的説明が可能なのではないか、という主張です。(もちろん事情はそこまで単純ではなく、いろいろな議論が本ではなされています。) 本ではその後、実際の人生で「何かをやめる・諦める」等の意思決定や重要な決断における、気分やモチベーションの果たす重要さが言及されています。
本書を読んでいた時期がちょうど「アカデミアを諦めるかどうか」という決断を迫られていた時期なのもあり、ここに書いてある(少し単純化しすぎですが)「そのような意思決定に答えるためにモチベーションや気分がある」という説明は、とても腑に落ちるものがありました。つまり、現在の自分は数学へのモチベーションや気分が低く、実際抑うつ状態にもなる程だったので、それは自然に考えれば「そろそろ数学をやめて次の茂みを探しに行くのがよいという心のサイン」と解釈できるのではないか、ということです。
この本の記述を読んで、アカデミアを辞めるかどうかという悩みが消え、心に素直に従えばよいのだという気持ちになり、アカデミアを離れることに決めました。
(もちろん上の記述はほんの議論のごく一部分を抜粋したもので、私の理解やその学術的妥当性等については議論の余地があるとは思われますが、少なくとも自分の意思決定においては、このような考え方は非常にしっくりくるものだったという話です。)
就活の経緯
これは少し私の場合が特殊過ぎて参考にならないかもしれませんが、一応書いておきます。
- 前述したように、学振PDの2年目くらいから企業就職を視野に入れ始め、某有名なアカデミア特化の就活サイトに登録して、企業の情報を集めたり、エージェントさんと相談したりしていました
- また気になっていた企業さんのtwitterをフォローしたら、DMが来て何回かカジュアルに就活一般や業務内容についてお話を伺ったりしました
- その段階でその企業さんのやっていることが面白そうだなと思い、お話を進めていくうちに、正式に内定をいただくことになりました
(つまりエントリーシートをいっぱい書いたり何社も応募して祈られたり等の経験をしていません)
通常の就活とはたぶん違うような気がするので参考にならない気がしますが、こういう就活もあるんだというお話程度にはなると思い書いておきます(同じくアカデミアから企業就活をしている博士の後輩を見ていてすごく大変そうで、こんなに簡単に決まってしまってよかったのかという思いはあります)。
数学を辞めるのか
企業就職ということはもう数学を完全に辞めるのかというと、多分そうはならないと思います。詳しく書いていいかは分からないのであまり書きませんが、企業での業務内容も(応用ではありますが)数学が多少は関連していることで、研究開発部門なので、論文を読んだりはするようです、が正直仕事内容は働いてみないと分からない and 分かったとしても書いていいか分からないので、あまり言及しないことにします。
仕事以外での数学ですが、むしろ数学が義務ではなくなったことで、趣味として数学ができるのではとちょっと思っています。実際社会人だけど趣味として大学以上のバリバリの専門数学をしている人も観測していますし、自分の分野のarxivを眺めたり集会のスライドを眺めたりくらいはたぶんやると思います。また知り合いによく「君は就職しても普通に論文書きそうだよね」と言われるのもあり、もしモチベと時間と精神的余裕と面白そうなテーマがあれば、論文書いたりとかも続けるかもしれません。が、仕事との兼ね合いということもあるので、正直どうなるかはまだ分かりません。
現在の心境
総じて、アカデミアを離れることに対するネガティブな気持ち(後悔や心残りや未練)はほとんどありません。数学を通して関わっていた人たちもいるので、その人たちと関わる機会が減る寂しさはあるかもしれませんが、まあ数学を完全に辞めるわけではないし、今後も数学の人たちと関わっていく予定ではあるので、あまり気にしていません。
むしろ業務と関連しそうな数学の勉強を最近は楽しくやっており、「久々に数学ちゃんと楽しんでやってる~」という感覚を最近は持っています。
まとめ
- 数学が辛い人は、数学以外の自分や自分の心も大切にして、「数学=人生ではない」「数学よりも心が大事」という視点を持って欲しい
- 実際に企業へ行く気があまりなかったとしても、研究職以外も検討して行動してみると、「いざとなれば研究職以外でもどうにかなる」という精神的な余裕も出てくるのでおすすめ
- ちょっとでも辛かったら気軽に大学の無料のカウンセリングサービスへ行くことをおすすめ(秘密厳守なので誰にもバレないし、行って話を聞いてもらうだけでも楽になる)
- あまりに病的に辛いなら、迷わず精神科・心療内科に行くべき(脳内の異常というれっきとした病気なので、薬がちゃんと効いて、徐々に良くなります)
- 「研究職は辛いけど、好きな数学・研究がいくらでもできて楽しいよ!」という言葉はマイナスな効果をもたらすこともあるということを知っておいて欲しい(そして「数学・研究は辛くて数学が好きかどうか分からないけどけど研究職やってるよ!」という話をもっとみんなして欲しい)
あまりに精神面の話が多くなり、期待していたものと違う内容だったかもしれませんが、アカデミアを離れるにあたって書きたいことを書いたらこうなったので、ご容赦ください。